ほっとけやん

ほっとけやん115
~地域とともに生きる~
わかやま新報2016年12月1日掲載

麦の郷40周年記念企画
沖縄視察研修


はぐるま共同作業所 山本 直子

 沖縄に入ってすぐの出迎えは、戦闘機による爆音でした。一体何が起き、どこから聞こえてくるのかと、うろたえてしまいました。決して心地いいものではなく、これが日常的で、当たり前となっている現状が県民にとり耐え難いものになっているように感じました。
 最初に見学した作業所は、戦争で銃弾を受け片足を失くした人や、負傷し障害を持ってしまった方々が働く場を求めて始められました。戦時中「米食い虫」と罵声を浴びせられた上、家族にまで中傷が及び、つらい思いの中で生きてこられたそうです。作業所では皆それぞれ特技を生かし、休む間もなく働いたそうです。その後も地域と密着しながら歩み、現在も作業所への希望者が後を絶たない中、手狭になり、なかなか迎えてあげられないことが課題と悩んでおられました。
 ハンセン療養所沖縄愛楽園への訪問では、昔、沖縄のハンセン病患者の方たちは、集落の片隅ではあるが、家族や地域の人が出入りする、地域の中で暮らしていたと記録にあることを知りました。彼らは安心して住む場所を求め、自ら療養所を設置するために貢献しました。その療養所は患者を閉じ込める場ではなく、自分たちが再び人間らしい生活を取り戻す為の場所でした。しかし戦争が始まり、兵隊が強制的に家から引きずり出し連れて行くようになったため、住民たちは「ハンセン病は恐ろしい強力な伝染病だ!」という意識を持ち、それまでの偏見がさらにも増して社会に広がりました。けれども、戦後の琉球政府時代には、沖縄独自の「ハンセン氏病予防法」により、本土では考えられなかった「退院」「在宅治療」ができる特別措置がありました。このことはハンセン病問題を考える上で欠かせないことと思えました。それでも、「らい予防法(ハンセン病患者に対し終身強制隔離などを定めた法律)」廃止後20年たつ今でも治癒する病気でありながら沖縄でも偏見差別は残っています。
 ひめゆり平和記念資料館、沖縄平和記念資料館の見学。戦争がもたらした多くの悲劇は、心身だけではなく人間としての尊厳までも奪う地獄のような世界でしかありません。経験者の方々が思い出したくない過去を、今、戦争を知らない世代に向けて同じ思いをさせてはならないという思いで話し始めてくれています。どの見学も第2次世界大戦を抜きに語られることはありませんでした。
 辺野古の勉強では、私たちが知っているのは、ほんの一部にしかすぎないことと知りました。「私たちは普通の暮らしをしたいだけ」と、当たり前のことすら願わなくてはならない社会はおかしいです。日常生活で家の中に爆音や振動、低周波をまき散らす低空飛行での訓練に、基地建設反対は当然のことだと思います。
 きれいな海を、貴重な生物や動物を、そして人間としての尊厳を守るためには、平和でなくてはなりません。誰もが当たり前に暮らしていくためにも、戦争は要りません。平和でなければ、幸せになれません!



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