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~地域とともに生きる~
わかやま新報2011年5月12日掲載

被災地支援から戻って ①
麦の郷 鈴木 栄作

 「百聞は一見に如かず」の言葉通り、今回被災地支援に訪れた福島県の地震での被災状況には目を覆うものを感じました。わずかな滞在期間でしたが、地震災害の恐ろしさを痛感しました。被災されたみなさまに心からお悔やみとお見舞い申し上げます。
 今回、きょうされん(共同作業所全国連絡会)の提起により、被災地支援ということで、和歌山支部(わされん)からの初陣として、6名の会員施設職員が被災地福島での支援活動を一週間行ってきました。福島県郡山市に「JDF被災地障がい者支援センターふくしま」を4月6日に開設しました。JDF(日本障害フォーラム)がいろんな障害者団体をつなぎ被災地の障害者を支援しようと呼びかけ動きだしました。きょうされんもその一つの構成団体として加わっています。宮城にもセンターが立ち上がり、岩手では立ち上げ準備中ですがきょうされんが中心の支援活動に取り組んでいます。
 私たちは4月10日に郡山市の入りました。すでにライフラインが復旧しており市民の人は普通の生活をしていました。ただ、建物の屋根や窓ガラス、塀、道路などの破損が多く見られました。また、余震が一日何度も体感するので口では「慣れました」と笑って言いますが恐怖心が続いている様子でした。私も震度6の揺れを生まれて初めて体感しましたが怖くて声を出すこと以外は何もできませんでした。
 現地での障がい者への支援活動は、第3クール目に入っており、救急救命や物資支援はある程度落ち着き、避難所での障害者の実態調査が主な任務でした。きょうされんの九州ブロックの職員、京都支部の職員と合同で2~3人を1チームとし、現地作業所の案内で一日5カ所くらいの避難所を回りました。被災状況が厳しい浜通りといわれる沿岸部と県庁所在地の福島市内を一日往復2~3時間の移動時間をかけて避難所巡りをしました。
 私は、滞在期間で20カ所の避難所を回りました。しかし、実態は避難所に障害者の方々がいませんでした。自分のチームだけかと思っていると、毎日行われるセンターでの報告会では他のチームも同様の報告でした。避難所の責任者に訪ねても「車イスの高齢の方はいるけど」、「以前はいたけど何処か移った」、「ここでは居られないもんね」などの返答でした。おそらく避難所では居られなく自宅、親戚、友人、知人宅を転々としていることが推測できました。確かな情報を得ようと活動しても、避難所、市町村でも障害者の実態が把握しきれてない状況がありました。
 浜通りのいわき市、相馬市、南相馬市の被災状況の厳しい地域では、作業所や事業所が再開できる目処が全く立たない所や、建物の破損はなく再開できる状態であっても原発の避難問題で見通しの立たない二重三重の被害状況を目の当たりにしました。しかし、現地の職員さんたちは、仲間たちが一日も早く明るい笑顔で戻れるようにと元気に振る舞う前向きな姿に勇気をもらいました。
 被災地での障害者の支援活動は長期に渡ると予想されますが、被災地の行政と関係者を主体とした復興への道を、私たちがどのようにサポートできるのかをしっかり考え議論しながら、支援の輪が広がっていくことが必要ではないかと思いました。

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