ほっとけやん
ほっとけやん49

ほっとけやん49
~地域とともに生きる~
わかやま新報2011年6月2日掲載

被災地支援から戻って ②
麦の郷 加藤直人

 五月九日から1週間、福島で被災障害者の支援活動の拠点となっている「JDF(日本障害フォーラム)被災地障害者支援センターふくしま」で活動を共にしてきました。震災直後から障害団体が連絡を取り合い、安否を把握し、支援要請に応えるため、この共同センターが自主的に開設されました。開設に当り民間の障害者支援基金からの助成を受け、ビルの一室を確保できたとのことです。
 急ごしらえのセンターには、当然専属の事務員がいるわけでなく、切り盛りする人たちは、程度の差はあれ、被害を受けた作業所や相談事業所のスタッフで、自分の仕事の合間を見て、被災以降、連日センターに詰めています。市町村機能が障害者対応の余裕すらない中で、全県下の障害者を視野にいれた支援をするために自ら立ち上がろう、そんな気概があふれています。
 私が入った頃の活動は、約200ヶ所ほどの大きな避難所への訪問活動で出会えた障害の方の要望を聞き取り、センター発足の周知が済んだ頃でした。予想外に避難所には障害の方がいません。出てくる声は「手すりやスロープが不備でトイレに行けない」「床から起き上がれずベッドがほしい」「糖尿病で食事に困る」「毎日が退屈」「避難所には作業所がない」「支援学校に通うすべがない」「放課後支援が受けられない」二人の発達障害の子どもを母一人が抱え、支援の届かないアパートへ移ったケースもありました。避難所での生活は無理だったのです。
 福島は地震、津波、原発の被害の甚大な海沿いの16市町村から避難した人が五月十日現在も約二万四千人も居られます。問題は、依然として大勢の障害者がどこに避難、あるいは自宅へ戻ったのか、生活実情が把握できないことです。センターとしては、どこに障害の方が住んでおられたのか、いわゆる在所名簿があれば全国から応援にきてくれているボランティアの手を借りて一軒一軒訪ね歩く活動をしたいと県や市町村にお願いしました。しかし、個人情報の扱いが阻んでいました。
 一方で、南相馬市は原発事故で強制退去地域、計画的避難地域と自主避難地域に分けられ、個別避難計画を作成する必要がありました。同市長は障害者の実態把握についてセンターの申し入れに対して「迅速・民間の協力・個人情報よりも命が大事」だと理解してくださり、名簿を元に実際に500軒あまりを訪問してニーズを聞き取ることができました。
 この実態数値が内閣府障がい者制度改革推進会議で支援のあり方の検討資料として活用されるというタイムリーな運びになりました。さらに、保健師との共同でつながりのない精神障害の方への医療、福祉の支援、中軽度障害も含めた自宅訪問が検討されています。
 今後の支援活動として、福祉避難所の確保、仮設住宅での作業所開設、作業所、ケアホームの再開に向けた応援など中長期にわたることが予想されます。「JDF被災地障害者支援センターふくしま」の役割は重要です。いっそうのセンター体制強化を県として図ることが大事ではないでしょうか。

←戻る50話へ→

上に戻る

Copyright (c) 2001-2005 麦の郷. All rights reserved.