ほっとけやん

ほっとけやん79
~地域とともに生きる~
わかやま新報2013年12月5日掲載

麦の郷の礎を築いた人びと
和医大精神科教室の先生方に想う
麦の郷地域リハビリテーション研究所 伊藤 静美

 2013年も終わろうとする今日、いつも想い出すのは精神科の先生方と作業所のスタッフが共に取り組んだ「精神障害者の社会復帰への道を拓く・和歌山県縦断キャンペーン」などのことです。(平成元年4月1日~9日)
 私たちは和歌山県庁前を出発して、県内9カ所の会場で映画と講演のつどいを開催して家族会や作業所の設立を訴えました。それと毎月第4日曜日には家族や障害者や支援者などによる署名や募金を呼びかけて和歌山駅前に立つ姿など…。
 特に年末が近づくと私たちにとっては生涯忘れることができない光景が目に浮かんできます。近鉄百貨店前で開かれる川柳書家である故渕田寛一先生の川柳色紙路上書きなぐり展のことです。(12月20日~24日まで)
 寒風の中、座して筆をとる。色紙の売上げ(1000枚)は麦の郷づくりのために使われます。川柳のお弟子さん達の応援にも励まされました。書きなぐり展の横には津軽三味線日本一というグループや麦の郷回復者クラブの太鼓サークル「雑草」(渕田先生命名)や、有名な和太鼓集団「鼓童」も駆けつけてくれて座を盛り上げてくれました。このように楽しい鳴り物入りの陽気なキャンペーンが10年も続いたのです。そこへは若いときの桂文福さんや笑福亭鶴瓶さんらの顔も見えてみんなを驚かせ、マスコミは連日大きく取り上げて紙面をにぎわせ私たちを喜ばせてくれました。それに私たちにとっては何よりもうれしかったのは、精神障害者の問題を多くの市民が知ることになったということです。
 1988年(有)障害者自立工場開所、1990年社会福祉法人一麦会認可。初代理事長代理として和医大精神科講師・故百渓陽三先生就任、といってもボランティアでこの困難な運営の任に就くことになりました。また、故東雄司教授は和医大定年退職後、麦の郷の本部の中に障害者地域リハビリテーション研究所を立ち上げ研究者として私たちを含め後輩の育成に全力を傾けられました。2人の先生に言えることは、名前だけの名誉職ではなく実質的に重い責任を担い、精神障害者の人たちを一人でも多く地域に帰すために血のにじむような努力が続けられました。百渓先生が口癖のようにいわれたのは「医師としての贖罪だ」という言葉でした。
 麦の郷の礎を築くために協力した人々は数字には表すことができないくらいの多くの人びとがいます。決して優れた一人の英知によって生み出されてきたわけではありません。恣意的にいえば、孤独に死んでいったであろう無言の「語り部」の声に突き動かされた専門家と病むことによって地域社会から排除され、すべての権利を奪われてしまうという理不尽に「ほっとけやん!」と立ち上がった素人市民が手を取り合って築いてきたのが今日の麦の郷の姿です。
 これからも今はもう故人となられた3人の先生方に見守られながら、麦の郷の強みである自主性、先駆性、開発性を普遍的なものとして全国に発信していきたいと思っています。

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