ほっとけやん 第1話
わかやま新報2007年6月2日掲載
6畳1間からの出発
麦の郷理事長 田中秀樹
麦の郷の前身「たつのこ共同作業所」が開所したのは、1977年3月7日。和歌山市東長町の古い長屋、6畳1間からの出発でした。
ろう学校を卒業し在宅で一人ぼっちになっていた、ろう重複障害者を支えようと教職員、手話サークルの人たち、市民が立ち上がりました。
私は当時盲学校に勤務していましたが、当時の盲重度重複障害者が卒業しても在宅か遠い施設に入所する以外行き場がない状況を目の当たりにしていました。学生時代に、障害を理由に教育を受けられなかった子どもたちの家庭訪問をするなかで、多くの厳しい現実も知りました。学校を卒業して、友達もなく一人ぼっちの生活に戻らせると思うと、どうしても和歌山に「重度の障害をもっていても、友だちがいて、働きながら成長していく」場がほしいと、この運動に参加しました。
この働く場の名前は、たつのこ共同作業所と名づけられました。(たつのこは耳の形に似ていて、全国ろうあ連盟のシンボルマークとして使われています。)
共同作業所運動は、名古屋の「ゆたか共同作業所」が「働こう障害者も、働けるんだ僕たちも」と、これまで福祉の対象でしかなかった重度重複障害者に働く場を作ろうと全国に呼びかけ、始まりました。この運動に私たちはとても影響を受け、励まされました。
1979年に養護学校が義務制実施され「どんなに障害が重くても教育を受ける」権利が実現しました。養護学校を建設する運動と連動して共同作業所が全国に燎原の火のように広がり、6000ヵ所に及ぶ共同作業所が障害者・家族、関係者、市民の自主的な力で作られてきました。
和歌山県では、たつのこ共同作業所に続き、美浜町、田辺市、新宮市と4ヵ所で共同作業所が生まれ、現在では80ヵ所余りの作業所が地域で活動し、障害をもつ人が働くこと、地域で生活することを支えています。
小さなたつのこ共同作業所が多くの人に支えられ育てられ、子どもから高齢者、障害種別をこえ、また不登校・ひきこもり青年などに、働くこと、地域で生活することの支援を行うようになり、今年で30周年を迎えました。
これまでのご支援に心よりお礼を申しあげるとともに、今後も支え、育てていただけますようお願い申し上げます。