ほっとけやん 第35話
わかやま新報2010年4月1日掲載
つながり文化祭
第33回障害児者家族のつながりを広める文化祭実行委員長 田中秀樹 社会福祉法人一麦会・麦の郷
第33回障害児者家族のつながりを広める文化祭(つながり文化祭)が、3月7日、県立体育館で多くの障害者団体、関係者、市民が参加し開催されました。
会場内では舞台発表、作品展示、相談コーナー、バザー販売、場外では模擬店が所狭しと軒を連ね、たくさんのお客さんでどこもにぎわっていました。「先生!」と駆け寄る支援学校の卒業生。「ひさしぶり」と交わす言葉があちこちから聞こえてきました。
この文化祭は特別支援学校、障害者団体で実行委員会が構成され、行政・関係機関、市民団体・マスコミの支援をうけて開催されているもので、33年間も継続されているこのような例は全国的にありません。
第1回つながり文化祭が開催されたのは、麦の郷の前身「たつのこ共同作業所」が生まれる前年の1996年11月で、翌年3月7日にたつのこ共同作業所が六畳一間で開所しました。「3月7日」は33年の記念日でもありました。
第一回つながり文化祭は、岡公園にある「児童婦人会館」(現・子ども女性会館)の全館を使っての開催で、人でごった返すほどの盛況で成功しました。以後、第2回からは県立体育館での開催へと発展していきました。
当時は養護学校義務制(1979年)がまだ実施されておらず、6才になっても学校へ行けず、障害のある子どもたちが在宅で一人ぼっちの生活をおくり、教育を受けられない人たちがたくさんいました。県内各地では、「地域に養護学校がほしい」と運動が広がり地域の人たちの輪が広がり次々と養護学校が各地に建設され「どんなに障害が重くても教育を受ける」体制が充実していきました。養護学校が建設され、共同作業所の県内に広がりを見せる時と重ねてこのつながり文化祭は県内にひろがりました。
このつながり文化祭の中で、小さな共同作業所がそれぞれの地域で生まれ、また多くの団体が地域の人々に支えられ育てられてきました。麦の郷もひとつの小さな共同作業所でした。
大きな取り組みであるがゆえに「しんどいなー」と思うときもあります。しかし、33年間続けてこられた原動力は数千人に及ぶ参加者の笑顔と交流、確実に広がりの輪が、障害のある人たちを支える地域につながっているという確信からだと思います。そして同じ会場に集まる力のすごさを感じて、それぞれの団体は力を蓄えていくことができるからだと思います。
国はこれまでの障害者福祉制度を変えようと検討をすすめています。新しい法律や制度が障害をもつひとたちにとっていいものになるか、利用しやすいものになるのかについて関心をもち、私たちの声を届けること大切な時です。
このつながり文化祭の「つながり」を通して実現した実績はきっと制度に役立つものだと思います。