ほっとけやん 第134話

わかやま新報2018年7月5日掲載

書と自分

ソーシャルファームピネル 山崎 順平

麦の郷クリーニング部、ソーシャルファームピネルで働いている山崎順平といいます。はや31年間お世話になっております。私は洗濯機で洗った病院や老人ホームのシーツ類を蒸気ローラーに通す仕事をしています。蒸気ローラーに通す際に、ほこりや髪の毛が付いていたら取り除くことも仕事内容の一つです。私は仕事をしながら書道をしています。今回初段になった節目に、麦の郷印刷部から「書作品集」という本(非売品)を出すことになりました。

私が最初に書道に出合ったきっかけは、父が書道をやっていたことです。父の書道の本や父が机に向かって書を書いているところをよく見ていました。父は小筆を使って、小さい字を書いていました。父が書道をやっていた影響で、幼稚園に入る少し前に塾で硬筆を習い始めましたが、この時は数か月でやめてしまい、長続きはしませんでした。年月は流れ、高校2年の時に書道部に入り、また書道を再開します。書道部の先生と父の指導のもと、和歌山県書道教育連盟で1級を取りました。しかし、高校を卒業してまた書道をやめてしまいます。そのあと、20歳の時に統合失調症を発症。後遺障害が残りながらも回復していき、麦の郷クリーニング部に入りました。40歳の時にリハビリのため、好きだった書道をまた再開しました。この時にある書道塾に入り、和歌山県書道教育連盟に入り直し、10級から再スタートしました。書道をしばらく離れていたため、ブランクがあり、高校の頃の1級の技術はなくなっていました。しかも、このときは非常に上達が遅く、当時持っていた1級までなかなか昇級しない。自分にはもう昇級は無理じゃないか。そんな気持ちにもなりました。しかし、地を這うような気持ちで書道を続け、始めた40歳の時から15年かけて、55歳の時にやっと1級を取得しました。これまで頑張れたのは書道が好きだったからです。今思えば、書道を続けることを運命づけられていたように思います。

この後、知人の勧めで私は東京都の文化書道学会という会にも入りました。初代会長は日下部鳴鶴の指導を受けた大書道家、西脇呉石先生です。今までの書道の下積みがあったおかげで、4年間で初段を拝受することができました。この検定試験の特徴は、小筆仮名と漢字、大筆漢字、履歴書やのし袋の表書などひっくるめて出てきます。そんな複雑な試験で私が初段を拝受できたのも、自分を指導してくださったアドバイザーと過去に指導してくださった書道塾の先生のおかげです。私の努力は取るに足らないです。これからもずっと書道を続けていきたいと思います。