ほっとけやん 第140話
わかやま新報2019年1月17日掲載
和歌山盲学校創立100周年を迎えて
和歌山県立和歌山盲学校校長 坂口 勝弘
本校は、1915年(大正4年)に紀伊教育会が大正天皇即位記念行事として盲唖学校を設立、和歌山城内の紀伊教育会館を教室として使用したことに始まっています。そして3年後の1918年(大正7年)に和歌山県立に移管され、和歌山県立盲唖学校が設立されました。その後、市内の真砂丁に移設し、戦時中の空襲により焼失、1948年(昭和23年)に市内湊通り丁一丁目に新築され、盲ろう分離により、和歌山県立和歌山盲学校として新たにスタートを切りました。そして1965年(昭和40年)和歌山市府中に移り、現在に至っています。この間、必要な備品や教科書も整備され、県の教育行政や関係者の皆さま方から多くの支援をいただきながら盲学校は発展してまいりました。
1945年(昭和20年)和歌山大空襲のため、貴重な資料の大部分が消失し、現存するものは多くありませんが、この創立100周年記念事業の一環として「盲学校資料室」として整理し、県民の皆さまにご覧いただけるよう展示いたしました。ぜひ学校に足を運んでいただきたいと思います。
さて、本校は100年にわたり、時代の流れやニーズに応えながら多くの卒業生を輩出しました。各々の夢を実現させ、社会で活躍されています。卒業生の方がつくられた施設や治療院は、今、卒業生の進路先ともなっています。
現在、特別支援教育がはじまって10年余りとなり、特別支援教育の理念が定着し、本校は和歌山盲学校視覚支援センターとして、和歌山県全域を対象に、見えない・見えにくいといった、困難を抱えている乳幼児から大人の方までを対象に相談支援をしています。また在籍幼児児童生徒には、一人ひとりに応じたきめ細やかな教育と社会自立に向けた鍼灸マッサージの職業教育を行っております。これに加えて、今後の盲学校には、0歳児からの丁寧な子育て支援、日常生活に困り感のある大人の方々への日常生活支援、このような支援を担っていくことが求められるのではないかと思います。
今、和歌山盲学校は在籍幼児児童生徒の減少に伴い、教職員数の大幅な減少、そのための視覚障害教育の専門性の維持継承が困難となってきております。そこで今、『打って出る盲学校』として、「盲学校のことをもっともっと県民の皆さまに知っていただこう!」「視覚障害教育のことをもっと知ってもらおう!」「盲学校に足を運んでもらおう」と始めた取り組み、「みんなでいこら 盲学校 体験会」・「公開実践研究会」は、多くの参加者でとってもにぎわいました。今後もできる限り続けていきたいと思っています。
そして今、議論を進めていることは、見えない、見えにくい方々に、より多くの視覚障害支援の情報が届くように、視覚障害児者を支えている機関がそれぞれが手をつなぎ、網の目のようなネットワークを構築すること。こうした取り組みを進めていければという思いを強く持っています。なんとしても実現していきたいと考えています。
今後も諸先輩方の伝統を引き継ぎ、和歌山県唯一の視覚障害者専門教育機関として責務を全うしていきたいと思っています。インクルーシブ教育が浸透してきている今、視覚障害教育の専門機関である本校が、見えない見えにくい子どもたちがどこの場でいてようと、盲学校の子どもとして、ますます視覚障害教育の専門性を発揮するつもりです。