ほっとけやん 第170話
わかやま新報2021年6月10日掲載
コロナ禍で考える「ソーシャル」の意味
ソーシャルファームもぎたて主任指導員 湯浅 雄偉
「ソーシャルファームもぎたて」は、農業がさかんな紀の川市にあるA型就労継続作業所です(以下、A型)。現在24名の仲間たちと農産加工業、農業、地元農産物をふんだんに使ったメニューを提供するカフェ「ムリーノ」、「風車」の運営に取り組んでいます。ソーシャルファーム(社会的企業)という名前の由来は、困難さの有無にかかわらず全ての人が労働を通じて自己実現し、当たり前に暮らしていくための所得保障を実現していこう、という思いからきています。コロナ禍においては、この「ソーシャル(社会的)」の意味を改めて問い直すこととなりました。
コロナウイルスの影響で私たちの事業所も売上の減少、仲間たちの体調悪化や、それを理由とする長期欠勤に向き合っています。ソーシャルディスタンスを気にする生活を送り、ライブや野球が趣味の人たちはみんな観戦を控え、ストレスを抱えるように。「コロナのせいでな〜」とよく話しています。
ある欠勤の続く仲間はコロナが理由でストレス発散ができない、しんどいと話してきました。そんな折、その人を囲む会で「仕事、面白くなくなってしまったかなあ?」と投げ掛けました。すると「コロナもそうやけど、新しい人が入って、少し仕事が減ってしまうのは面白くない」と言いました。仕事ってそういうものじゃないでしょ?とつい困惑してしまいました。また、こんなこともありました。ある仲間が「働きたいけど、行けやん」と言います。いや来てよ!と思わず突っ込みたくなるけど、言葉にはしませんでした。仲間の様子はひどくつらそうだったからです。
気付けば私は「職場に来るのは当たり前」という立場で「来させたい」と苦しくなっていました。「働きたいけど行けやん」。仲間たちと折り合えない考え方に、いつの間にかなっていたと思います。遊べないストレス、仕事ばかりの毎日、言葉にしない家族のことや、障害がゆえに傷ついてきた過去は、簡単にはカサブタになってくれません。いろいろあって、今、「行けやん」があるんだと思い至りました。一方で、働くことで得られる豊かさも仲間から教えられています。同志ができ、生活のメリハリがあり、賃金が得られる。こんな豊かさを誰もが感じられる職場とするために、仲間とのスポーツやおしゃべり、散歩の会、職場自体の改善を目指した仲間中心の会議などを、感染対策に気を付けて月1度以上催すようにしています。「行けやん」に共鳴し、「一緒に働こう!」と言い続けて。
試行錯誤の日々にふと手に取った、藤井氏・星川氏「障害者とともに働く」(岩波ジュニア新書)の中で、「多くの人とのつながり(社会連帯)を忘れない働き方(中略)実現するなかに新たな社会像が浮かび上がる」という指摘が目に飛び込んできて背中を押される思いになりました。
人生にはいろんなイベントがあり、困難があり、妊娠やけがなど、ときに働くことが不自由になることはいつ誰にでもありえます。社会的距離に振り回され過ぎず、さまざまな状況にあっても働ける社会の実現に向けて、制度や実践面において社会的連帯を追求し、発信する組織になりたいと、コロナ禍の中で考えています。