ほっとけやん 第175話

わかやま新報2021年10月28日掲載

いらない人は誰もいない、みんながメダリスト

NPO法人りとるの ワークショップフラット 施設長 山本 功

 最近参加したオンライン研修会のテーマは旧「優生保護法(1948〜96)」と全国規模で展開している裁判についてでした。

 この法律は約70年前にできました。それは戦後、国は日本を健康な国民だけにすることを目的としたものです。具体的には障害や病気のある人に子どもができなくなる手術(強制不妊手術)を施策として進めたのです。また妊娠中絶も進めました。理由は、国を強くするためには障害や遺伝する病気がある人はいらないという考え方がアメリカ、ヨーロッパから入ってきたからです。こういう考え方を優生思想といいます。

 この法律によって1949〜96年までの48年間に、強制不妊手術、中絶された被害者は8万3965名です。しかし、実際にはもっと多いといわれています。多くの人は病院、施設の職員や家族から言われて、何も分からないまま手術をされました。障害や病気があるから「劣っている人」「弱い人」と決めつけ、心も体も傷つけられ、子どもを産めない体にされ人権を奪われました。これは紛れもない憲法違反ですが、国は賠償責任を認めてはいません。障害者福祉に関わる私たちは、強制的な不妊手術をしたという日本の歴史を伝え広め、またその手術によって今も苦しんでいる人の人権を復権する使命があると思います

 今、凶悪な犯罪が横行し、命が奪われる事件が毎日のように報道されています。尊い命が奪われる事件、とりわけ子どもの命が奪われる事件のあとには「命の尊さ」について、声高に叫ばれていますが、時として空しく聞こえることがあります。命はなぜ尊いのか、答えることができない人は多いかもしれません。一方で、日本でホームレスの人の凍死や事故死、また自死を選ぶ人が年間数万人に及ぶことは大問題ですが、それが多くの人の関心となっていません。それも優生保護法の問題に通じているのではないかと思います。

 5年前、津久井やまゆり園事件が相模原市で起こり、19名もの命が奪われました。その犯人、元施設職員の植松死刑囚は、障害者に対し彼らは生きている価値がないと言い切り、その考えは今も変えてはいません。つい先日の新聞では、当時のやまゆり園では、職員の障害者への日常的な虐待、暴言が繰り返されていたことを掲載しています。そして、もっとショックなのは事件後のSNSなどで、植松死刑囚に同調する書き込みが多数見られたことです。

 私は今、中途障害者の通う作業所で働いています。多くの利用者は交通事故や脳卒中などにより後遺障害が残った人たちです。先天的な障害者ではないのです。そういう方々と長年一緒に仕事をしてきた立場から、この優生保護法をみるとなんなんだろうかと思うのです。

 今夏、日本でパラリンピックが開幕し多くのアスリートが輝く舞台で活躍、私もたくさんの勇気と希望をもらいました。しかし、そういう舞台とは違う日常という場所で、日々こつこつと生活を営んでいる無名の人たちを誰もが認める社会でありたいと願っています。