ほっとけやん 第192話
わかやま新報2023年3月16日掲載
『人間が社会で生活することへの潮目が変わる歴史的瞬間 〜生活保護裁判 判決〜」
社会福祉法人一麦会 法人事務局次長 野中 康寛
私事ですが、最近とても涙腺が緩くなってきています。それは花粉症の影響か、単なる老化現象なのか、いやいや感受性が発達し続けているのだと私は信じています。
先日行われた「わされん第一ブロック研修 生活保護裁判判決〜8年間のたたかいの軌跡。勝利判決を目指して〜」でも、私の涙腺が緩みました。
講師を務めていただいたのは、和歌山大学経済学部教授で生存権裁判を支援する、わかやまの会会長の金川めぐみさんです。
日本の街角で飢えに苦しむ子どもと出会うことがほぼないのに、子どもの貧困率は先進国34カ国中10番目に高いとされています。これは、相対的貧困といわれ、その国の文化水準・生活水準と比較して困窮した状態を指し、相対的貧困率とは、国民一人ひとりの所得を高い人から低い人まで並べ、その真ん中の半分に満たない人の割合のことです。
貧困は、住む家がない、食べるものがないという目に見える状態だけを指すのではなく「文化的に生活を営めているか」という一律には決めることができない価値判断が大きく作用されています。文化的な生活という視点で考えると日本の貧しさの価値判断は非常に貧困です。貧困による社会からの排除経験は、何のために生き抜くのか、何のために働くのか、それにどんな意味があるのか、そうしたあたり前のことが見えなくなってしまう状態を生み出します。その状態から脱却するために「最低生活費保障」と「自立助長」を行うことが生活保護の目的です。
人間が自立して生きてゆくためには「長い依存関係が多くある」ことが必要不可欠なのです。しかし、多くの国民は「独り立ちし援助を受けてはいけない」「生活保護を受けることは、恥ずかしいことだ」という価値観や偏見が多く残されています。日本の生活保護は、「生きる(衣食住)」の保障だけを中心的に考え、「活きる(文化的)」の保障が考えられていないと思います。
〝人間が生活する〟という根源的課題に立ち向かうために、さまざまな起訴が繰り広げられています。有名な起訴として朝日起訴(1960年代)があります。原告の朝日茂さんは、結核療養所で生活扶助費が打ち切られるという自体になり「人間らしい生活をしたい」というあたりまえの願いを訴えました。そして朝日茂さん人間裁判の闘いから半世紀。現在、生活保護費引き下げの違憲について、全国29都道府県で1000人を超える原告(和歌山では11人のうち1人ご逝去)が起訴を起こしています。2月10日には、全国5例目の勝訴判決が宮崎県でありました。小島裁判長は、所感の中で訴えてから8年余りを要し、原告の一人が亡くなったことにふれ「審理開始から長い期間を要したことで判決を受けることができなかった原告がいることは、いち裁判官として遺憾に思っている」と発言されました。
和歌山でも、8年間の長き闘いの判決が3月24日に和歌山地域101号法廷で言い渡されます。公正な判決が下され、勝利の涙を共に流したいと思います。そして、生きづらさを抱える人に関わることで多くの矛盾を知った「知ったものの責任」を大きく感じながら、伝える活動を積極的に行いたいと思います。