ほっとけやん 第202話
わかやま新報2024年1月11日掲載
「仲間に支えられて20年」
ゆかいな会 副会長 貞包 未奈江
私の娘は小さい頃から知的障害があります。高熱による身体障害もあったので障害に対する知識は多少あると思っていましたが、精神障害を発症した時は面食らってしまいました。症状として、水道の水の音やテレビの音、洗濯機の回る音などに敏感で「消してくれ」と言い、子どもの声でいろいろな悪口も聞こえてくるようでした。
親の私たちも異常を感じ、友人に相談して精神科の病院を受診することになりました。それから障害認定を受けるまで2年ぐらいかかりました。
寝てばかりの生活が続き、これで生きているといえるのだろうかと不安に思うこともありました。そして、薬が効いて落ち着いてきた時は、家でばかりいるより社会とのつながりを持たせたいと思い、障害者職業訓練所に通うことを勧め、スーパーの青果部門では5カ月働きましたが続きませんでした。また、作業所にも数カ所行きましたが続きませんでした。
麦の郷紀の川生活支援センター(以下センター)の職員に娘の就労について相談させてもらった時に、地域の精神障害者家族会に参加してもなかなかしっくりこないと話したところ、「同世代の子どもがいる人と会ってみませんか?」と言われ、2003年11月に和歌山市のご家族と私とセンター職員の3人で初めての集まりを持ちました。これが「わかい精神障害者をもつ家族の会(通称ゆかいな会)」の始まりです。おいしいコーヒーとお菓子を食べながら話していると、もう一人の方の息子さんと娘の状況がよく似ていて、気持ちがどんどん軽くなっていくのを感じました。そして、毎回の3人での集まりが楽しくて心の支えになっていきました。
センターが紀の川市に移転したのを機に会員もひとりふたりと増えていきました。そして、「うちほど大変な子どもはないだろう」と思っていたのに、どの人もしんどさを抱えていることに驚きました。なんでも包み隠さず本音で話ができて、泣いたり笑ったりの会になっていきました。発病して間もない人のお母さんがやっとの思いでこの会に来てくれますが、少しずつ元気になって帰っていきます。
高齢化で会員が少なくなってきていた紀の川市精神障害者家族の会とゆかいな会は、2015年に合併して、新たに紀の川市精神障害者家族会(通称ゆかいな会)として再出発しました。すると、年配の人と若い人の交流ができるようになり、今まで以上に元気な会になりました。そして、センターの職員の支援やアドバイスを受けながら、活動してきました。
月1回の親の会は、話したいことがいっぱいで2時間の予定をいつもオーバー。そして、その後は、楽しく食事をとりながらまたおしゃべり…。時間がいくらあっても足りません。気分転換して元気になって、また来月の親の会を楽しみに待つようになります。また、会員の安全運転で、紀南や京都北部への1泊旅行や加太や奈良への日帰り旅行をして楽しい時間を過ごし、年に一度は専門家の学習会や講演会で学び、心の栄養を蓄えます。
ゆかいな会は、毎月第2木曜日10時から紀の川市生涯学習センターで、また茶話会は毎月第4金曜日10時からセンターで開いています。紀の川市にお住まいのご家族で、抱え込んで悩んでいる人がいましたら、ぜひ相談してください。会へのご参加もお待ちしています。