ほっとけやん 第210話

わかやま新報2024年9月5日掲載

能登半島地震支援をきっかけにつながった支援

和歌山県共同作業所連絡会 事務局長 中浜 倫太郎

 令和6年1月1日16時10分ごろ、最大震度7の地震が能登半島にて発生しました。

 私は、令和6年4月8〜11日まで、石川県七尾市を拠点に、輪島市・珠洲市の視察と現地の障がい者の方への支援活動を行いました。この支援活動は、日本障害フォーラム(JDF)という団体が2024年5月に「JDF災害総合支援本部・能登半島地震支援センター」を設置し、この下でJDF構成団体およびその傘下等の関係団体から支援員を派遣し、現地障害者団体と緊密に連携しながら、被災障害者および障害者支援事業所のニーズ把握等を行い、これに基づく支援活動等を行うものです。

 被災地の状況は、4月時点でもインフラの整備など、遅々として復興が進んでいませんでした。復興が進まないということは、被災者がもとの生活に近い環境まで戻れないということを示しています。そして、これは、現地の福祉を専門とするワーカーたちの被災者への支援が長期化していることを示しています。

 今回担当させていただいた方は、一時的に避難所に身を置かれている時に、福祉のワーカーの巡回において初めて福祉の対象として認知された方でした。その後、避難所を出て自宅での生活を再開されました。その方はこれまで社会とあまりつながらず生活していたこともあり、地域でも隠れた存在でした。皮肉なことに災害がきかっけで支援へのつながりが芽生えたのです。しかし、現地のワーカーなどは避難所等での支援に精いっぱいで、なかなか支援が実行されませんでした。こうした状況下で私たちJDFにこの方への支援の依頼があったのです。他府県から来たよそ者であったかもしれませんが、その方は快く迎えてくれました。自宅の片付けなどを手伝いながら、聞き取りを行い、浮かび上がった課題を少しずつですが整理し、必要な支援を抽出していきました。私たちは3日間だけでしたが、その方への支援は次の支援者に情報が引き継がれ、この8月の報告には「最初は不安定でしたが、今は前を向いて歩いていこうと考えています。掃除の支援よりも、人との関わり、人と触れ合うことへのハードルが下がり、前に進み始めたと思います。本当にありがとうございました」とありました。

 被災時は、災害を実際に受けた方々に注目がどうしても集まってしまいます。私も現地に入る前は、そうした方々への支援をすると思っていました。しかし、今回の支援に関わって、目立たないところに多くの支援を必要としている人がいらっしゃって、被災後はそうした方に支援が届かないという現実があるということを思い知らされました。