広がる「ほっとけやん」の心

ニュース和歌山が伝えた半世紀 1964~2014 27 1990年(平成2年)

ニュース和歌山 2014年(平成26年)7月5日 土曜日 掲載

精神障害者の2施設竣工

アートと農 仕事に

社会福祉法人一麦会が建設を進めていた精神障害者通所授産施設「むぎ共同作業所」と精神障害者援護寮「麦の芽ホーム」がこのほど竣工した。一麦会は、和歌山市内の精神障害者とその家族がつくっている法人。この2施設の完成により、麦の郷敷地内にはいくつかの回復過程に合わせた4施設ができることになり、「病院から退院しても行くところのない人のための場所ができた」と関係者らは喜ぶ。(1990年5月19日号より)

障害者や不登校児、高齢者らの生活支援や就労の場づくりに取り組む一麦会。和歌山市岩橋を拠点に30以上の施設を持ち、和歌山の福祉の草分け的存在だ。1990年、岩橋の敷地内にむぎ共同作業所と麦の芽ホームが完成し、施設数が増え、この時から総称を「麦の郷」とした。

一生を病院で

出発は77年、同市東長町に開いた六畳一間の「たつのこ共同作業所」にさかのぼる。田中秀樹理事長は当時、和歌山盲学校の教諭。「養護学校を卒業した教え子たちに働く場を」との思い出、和歌山初となる共同作業所の運営に携わった。

視覚や知的障害者が働く作業所に、精神障害を持つ身寄りのない少年がいた。現在は50歳となり、麦の郷で働き、グループホームで生活している。「『精神障害者ら何するか分からん』と言われ、入院したら一生病院。そんな時代でしたが、『行き場のないこの子が一生病院に入らねばならないなんておかしい』と感じた」。‶ほっとけやん”気持ちが原動力になった。

作業所などの開所を続ける中、88年に精神保健法が成立し、人権擁護と社会復帰施設に関する規定が始めて定められた。これを受け、岩橋にクリーニング工場を開設し、89年には社会福祉法人一麦会となった。また精神障害者の社会復帰を訴え、県内各地を回る縦断キャンペーンを大々的に行った。

同時に当事者の家族たちが顔を上げ、和歌山駅前に立ち、障害への理解と支援を訴えた。同市精神障害者家族会つばさの会の岡田道子会長は、「子どもたちが地域で生活できるよう、毎月一度、十年間立ち続けました。麦の郷の方と一緒に、建設資金の募金活動もしました。偏見に負けない家族の闘いでしたね」と振り返る。

大地に根付く一粒

90年、退院後の復帰の第一歩として二年間の入寮を経て地域で生活できるように後押しする麦の芽ホームと、症状が重い人のためのむぎ共同作業所を新たに開設した。

麦の芽ホームはすべて個室で、長い入院期間を経て退院したものの、家族に受け入れられず行き場のない当事者たちの受け皿となった。病院での生活習慣が抜けきらない状態から、掃除や外出、買い物の仕方など、仲間との暮らしを通じ、自立への訓練を積んだ。

回復状態に合わせた仕事と生活の場ができ、ついには95年、「就労は無理」と言われてきた精神障害者が‶労働者”となり、最低賃金が保障される全国初の工場「ソーシャルファーム・ピネル」を岩橋に構えた。

施設内だけでなく、地域とのかかわりも活発だ。西和佐地区の住民とは花見や夏祭りで交流し、地元の小学生が授業で見学にやってくる。地域の農家から仕入れた野菜を月1回販売する「麦マルシェ」も好評。2007年には麦の郷をモデルにした映画も製作され、全国から注目を浴びている。

支援は障害者のみならず、地域の高齢者や子どもと様々で、利用者には十組以上の夫婦が生まれた。麦の郷から一般企業へ就職する人もいる。

「麦」の由来を田中理事長に聞いた。「一粒の麦が大地に落ちれば無数の実が広がる、という聖書の一説からです」。名に込められた願いは、和歌山でしっかりと実を結んでいる。